医療事務だった私が未経験からフリーランスフォトグラファーになるまで

2017年から石川県金沢市でフリーランスフォトグラファーとして活動しているつるみえりさです。新卒から6年半医療事務として働いてきた私が未経験からフリーランスフォトグラファーになろうと決めた理由と、お仕事の現状をまとめておこうと思います。

プロフィール

年齢:27才、水瓶座、O型
性別:女性、既婚
出身:石川県金沢市(現在も在住)
出身校:石川工業高等専門学校 建築学科
趣味:本屋さんパトロール、漫画、読書、占い、美術館鑑賞、音楽、旅行

石川県金沢市で生まれました。今となっては人気の観光地ですが、当時は都会的なものはなにもない田舎だったんですよね。唯一の誇りは109があることくらいで(笑)両親は金沢で小さな喫茶店を経営しています。サラリーマン家庭ではあまりないことかもしれませんが、幼い頃から両親の職場が私の遊び場だったこともあり漠然とした自営業への憧れを抱いていたのかもしれません。

自分でレッテルを貼っていた子ども時代

特別優秀な訳でもスポーツができる訳でもなく『自分なんて』と思っていました。自分の意見を主張することが苦手で、他人にどう思われているのかを気にしていました。その頃から好んで読んでいた漫画も、ほんとは少女漫画も読んでみたかったのに自分が少女漫画なんて読んでたら変に思われるかも…と少年漫画ばかり読んでいました。誰に何を言われたわけでもないのにと今では思うのですが(笑)こんなふうに、なにをするにも自分で勝手に貼ったレッテルに縛られていました。

自分らしさと自由を求め石川高専へ

中学生の時、1番嫌いだったのは校則でした。「校則だから」「ずっとそうだから」とか明確な理由のないルールが本当に嫌いでした。散々モヤモヤした結果、志望校を石川高専の建築学科に決めた1番の理由が『自由だから』でした。他にも、飽き性だから普通科じゃ物足りないんじゃないかとか、ものづくりが好きで興味があったからとか、大学受験しなくていい(高専は5年制)とかいろんな条件が合致して、自由を掴むために自分の学力より上の学校を受験し奇跡的に入学できました。

石川高専は高校というより大学のシステムに近く、校則もほとんどなく単位制で当たり前のように留年もありました。外見的、行動的な自由を手にした部分はヒャッホー!だったんですが、元々自分より学力の高い学校を選んだ結果当たり前のように授業はどんどん難しくなり、テストがあるごとにヒーヒー言ってました。好きなことしか頑張れない私は、特定の教科だけやたら得意だったり偏った成績でしたが、頭の良いクラスメイトの力を借りて留年することなくなんとか卒業までこぎつけました。高専自体かなり特殊な環境だったので、未だに高専出身の人に出会うとやたらと親近感を抱いてしまいます(笑)

社会人に絶望した就職活動

4年生の終わり頃になると一気に就活ムードになりました。私は全くと言って良いほど就活に無関心で、まわりがどんどん内定していく中、他の人に心配されるほどマイペースに過ごしていました。そんなとき、親にお尻を叩かれ合同説明会に行ったことがありました。何百人もの学生がみんな同じ格好をして、同じ方向を向いて、誘導されるがまま動いて、そのときに漠然と「あ、社会人に自由はないんだ」みたいな絶望感を感じたのを覚えています。ただ、世間を知らない、知ろうともしなかった学生の私には、会社に就職するという一択しか選択肢がありませんでした。結局建築関係の会社とは縁がなく、偶然見つけた医療事務の求人に応募し就職することになったのでした。

接客は楽しいと気づかせてくれた医療事務

医療事務ときくと機械的な事務作業を想像されるかと思いますが、私が就職した会社では接遇に力を入れていて、マニュアルではなくひとりひとりのことを考えて対応をすることで他企業との差別化を図っていました。実際その接遇に感動し、その場で褒めてくれたり、遠くから来てくれる方もいるほどでした。長く働くほどに顔を覚えてもらえて話すことを楽しみに来てもらえるようになり、何より自分の仕事が「ありがとう」となって返ってくる、人と関わる仕事に魅力を感じるようになりました。

自由とワクワクを仕事にしたい

人との関わりが楽しかった反面、企業という集団の中での生活は自分を抑えているような窮屈さがありました。また、仕事に慣れたことで毎日同じことの繰り返しのように感じてしまい成長している実感が湧かなくなっていました。自分らしくないし、ワクワクドキドキしてない。自分の意思とは関係なく様々なことが決められていき、組織が決めたどうにもならない事柄に対し反感を持ったり文句を言ったりする自分がなにより嫌でした。私は私らしく自分を表現していたいし、自分のことは自分で決められる環境に身を置きたいと思うようになりました。思ったのはいいものの実行に移すのは難しく、『自分なんて』がまた邪魔をするのでした。

カメラとの出会い

昔から上手に絵が描ける人を羨ましく思っていました。名前に「絵」と入っているくせに絵が下手でした(笑)5年ほど前に、カメラなら絵心がなくても素敵な作品が作れるんじゃないかと思いつきました。でも、飽き性の私が高いカメラを買ってもすぐに飽きてしまってもったいないんじゃないか…と迷っていた時、仲の良い友人がミラーレス機を買ったと見せてくれました。話を聞いて触らせてもらって撮っているところを見ていたらどうにも羨ましくて翌日には購入していました(笑)そして、思った通り写真を撮るのが楽しくて飽きることなく趣味としてずっと続けてきたのでした。現在の夫と出会ってからは私よりもずっと前から写真を撮っていたこともあり、カメラの先生として技術面でたくさんのことを教えてもらい、上手く撮れると成長を感じて嬉しくなってもっと撮りたくなるという繰り返しでした。

好きなことで誰かの役に立ちたい

きっかけは結婚でした。自分の将来についてたくさん考えさせられたし、早く行動を起こさないとこれから起こるたくさんのライフイベントに飲み込まれてしまうという焦りがでてきました。そして、仕事をしている中で気づいた「もっとたくさんの人と関わりたい、誰かの役に立って喜んでもらいたい」という気持ち、「自分らしくいたい、好きなことをしてワクワクしていたい」という希望、就職活動時に社会人に対して抱いた自由のない窮屈なイメージを払拭できるかもしれないという期待、すべての感情が『写真を仕事にする』というひとつの答えにたどり着きました。そして、幼い頃からの「自分なんて」という気持ちを「今やらなければ!!」という使命感が上回りました。幸い夫の理解を得られたこともあり、フリーランスとして活動するため退職するに至りました。

フォトグラファーとしての現状

夫の協力もあり家族写真や店舗写真などを撮影する機会をもらえて、毎回初めての仕事に吐き気がするほどの緊張感と、新しく人と出会える喜びと、こんな自分でも頑張れば人の役に立てるかもしれないという希望、以前にはない様々な感情の起伏を楽しみながら過ごせています。まだまだ駆け出しで経験値が圧倒的に足りていないと自負しています。だからこそ、好きな事を楽しめているという有難い環境に感謝しながらひとつひとつ大切にステップアップしていきたいと思っています。なににも縛られず、ワクワク、楽しい方へ自分の気持ちに素直に実行に移せるように変わっていきたいと思います。まだまだ発展途中の私ですが、目の前の人に喜んでもらうことから始めていきます。

もうひとつの目標は大好きな金沢に貢献すること。どんなカタチかはまだ明確にはなっていないですが、自分らしい表現で魅力を発信できたらと思っています。旅行スナッププランを作ったのも、旅行客の方々と出会ってたくさんお話ししてもっともっと金沢を好きになってもらえたらなと思ったからです。これからも自分にできることを模索していきたいと思います。

こんな長い文をここまで読んでいただいた方にこれから出会えるのを心から楽しみにしています!ありがとうございました^ ^